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2009年9月15日 (火)

元気です!グッチです!

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ほんまにお久しぶりでございま~す!

銀一家も飼い主も元気どぇ~す!

更新もしないでほったらかしのブログに来ていただいた皆様!ほんまにありがとうございました。

お陰様で母の四十九日も無事に済みました。いつまでもうだうだしていてはいけないのですが、なんか今一やる気が起こらなくて・・・・

忙しかった後の虚脱感というか・・・

でも、まだまだ先はあるわけだから、ボチボチ歩き始めることにしました。

それで気持ちの整理をつけるためにも、ちょこっと今回の経験を書き綴ってみたいと思います。

Photo

この4カ月、びっくりするぐらい気持ちが張り詰めていたような気がします。

母の癌治療が、積極的なものでないとしたときの病院の対応は不思議なものでした。

今の医療体制を知らない私は、病気やケガをすれば必要に応じて入院とかさせてもらえるのだと思っていました。

違うのです!病院にも種類があるのです。

それは内科とか外科とかいうものではなく、治る可能性のあるものと、治らないものとの違いです。

そして治らないもの、治さないものに関しては非常に門戸が狭いということです。

Y病院から紹介状を書いてもらって出かけたさきのW病院は、終末治療をしていない病院で診察もしてもらえませんでした。

このときはまだ病院の種類がなんたるかなんて知らなかったのです。

それにしても、紹介状を書いたY病院はなんでここにしたのでしょうか?解らなかったのでしょうか?とにかくどこかに転院させたかったのでしょうか?

受付で断られた私はどうしていいのか途方にくれました。

積極治療はしなくても、熱が出れば下げてもらい、痛みが出れば痛みを和らげてもらう治療はしてもらいたいのです。治らないのであれば、できるだけ苦しみを取り除いて最後を迎えさせてあげたいのです。

これは母のためでもあり自分のためでもあるのです。

W病院は医療カウンセラーをおいている病院でした。

よっぽど落胆がひどく見えたのか、受付の方がカウンセラーの方を呼んでくださいました。

そして話を聞いてくださり、病院にも色々な種類があることや、どこの病院なら受け入れてもらえそうかなど相談にのってくださいました。

私の中に「希望」が出てきました。ほんまにこのカウンセラーの方には感謝しています。

各病院にいるカウンセラーの方同志は情報交換などもなさっているようで、こういったことにも対処できるようです。もっともこの方の周りだけかもしれません。
なぜなら、このときは母と自分のことで頭がいっぱいで、そういったことまで聞くほど頭がまわらなかったのです。

書いていただいたメモを頼りに病院探しに突入しました。期限は一週間以内ですから・・・

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仕事の合間に順番に電話をかけました。

どこもいっぱいでなかなか面談の約束さえしてもらえません。

やっとみつかったT病院では面談だけで一カ月待ちでした。
夏までもつか・・・・と言われてるなかこれでは・・・と思いながらもとりあえずお約束をしました。

それまでに退院しなくてはいけない場合は在宅になります。
そんなことできない!!

また電話をかける毎日が続きました。

入院しているY病院は探してはくれません。自分達で探さなくてはいけないんです!

こんなこと!病院間でもっと情報交換がなされてもいいのではないでしょうか?

私だけではなく、看護している家族の方はものすごいストレスです。安心して看護だけをしていられないです。

そして期限がせまったある日、院長に呼ばれた私に
「この病院を考えてみられたら?」と差し出されたりっぱなパンフレット!

「家族の事情なんか考えてられない!」と言い放った院長でも多少は気にかけてくれていたのか、本当に追い出したいのか解らないけれど・・・

パンフレットの病院はとても毎日通えるような場所ではなく、病院施設のついた老人施設でした。

そりゃあ母は老人です。病気でも呆けてはいません。病院を探してるんです。できれば毎日、10分でも顔を見に行ける場所にあるところを探してるんです。

あと2カ月ほどのときをできるだけ毎日、顔を見たいんです。贅沢ですか?わがままですか?許してもらえませんか?!

「もう少し日にちを延ばしてもらえませんか?」と聞く私に「もう後一週間だけです!」と・・・

ベットはいっぱい空いてるのに・・・

その晩、泣きました!泣いて泣いて・・・銀一家が慰めてくれました。

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そしてやっとTN病院のカウンセラーさんとの出会い!

最初、電話をしたときはベットがいっぱいで・・・というお返事。
お話を進めて行くうちに必死に喰い下がる私に根負けなさったのか、とりあえずY病院に電話をして症状を聞いてくださることになりました。

Y病院院長は「一応、症状説明はしておいたから・・また連絡するそうだけど、期待しないほうがいいよ!」

もうーなんとでも言ってくれ!

ここが最後の病院なんだから・・・

2~3日してNT病院のカウンセラーさんからの電話。

「あ~!ダメなんだろうなぁ~!」という思い。

「お電話がないから、どうなさったのかと思いまして・・・お母様は大丈夫ですか?」

「???あのぉ~?」

どうもY病院が私に連絡してなかったようです。

「ご都合の良い日に一度、ご家族の方がおいでくだいませんか?」

「えっ!入院させていただけるのですか?」

「はい!最初は普通病棟のほうで、空きができましたら療養病棟に代わっていただくということでよければ・・」

「わっ解りました!いつでも都合つけて行きますのでよろしくお願いいたします。」

目の前が一瞬にして明るくなりました。母の病気が良くなるわけではないのに、ほんまに安堵の気持ちが湧き上がりました。

これで、毎日仕事帰りに寄ることができる。親不孝者の私にできるのはこんなことぐらいだから・・・

インドにいる弟も少しは気が楽になるかもしれない!

そう!私の弟は間が悪いことに今年の三月からインドに3年間の単身赴任をしてます。

いままであまり頻繁に連絡を取り合っていたわけではないけれど、母が入院してからはPCメールでのやり取りが多くなりました。

彼は出国した三月に母に会ったらしく、最初は癌だといってもピンとこなかったらしく、そっけないメールでした。

でも、日が経つにつれ、夏までもつかどうかと聞き、私が病院探しに奔走し始めると、「何もできない!ごめん!いつも姉ちゃんばっかりにしんどいことおしつけて・・・」と自分を責め続け、
「だんだん人でなしになって行くような気がする!」と・・・・

いつでも姉ちゃんというものはしんどいものです(笑)

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このTN病院は普通病床と療養型病床・結核病床を持っていました。

担当の医師は女医さんで物腰の柔らかい方でホッとしました。

そしてこと細かく治療方針とかを話し合いで決め、納得してお願いすることができました。

ほんまに良い病院・医師に巡り合えたと思っています。そして真面目に生きてきた母へ神様がご褒美をくださったんだと思います。

転院する時には体力はかなり落ちていて、20分ほどの車での移動がしんどいようでした。

それでも食事がおいしくないとか、おむつが嫌だとか文句は言ってましたが・・(笑)

シャツのボタンをはずしてると「ちゃんととめなさい!」と・・・おしゃれなんだけどなぁ~(苦)

だんだん食事が摂れなくて高栄養の点滴に代わり、ポータブルトイレの排泄からおむつへ。

私が帰るときに必ず「帰らんとって!」と手を握って・・・

それは子供のころに覚えのある柔らかいふわふわの手で・・・

手足がだんだん痩せ細って・・・

ときたま「おかあちゃん」じゃなくなる時が始まって・・

痰が詰まるといけないので鼻から吸引されると嫌がって・・・

目がうつろになってきて・・・

そして7月26日夕方

三回大きな呼吸をして旅立ちました。

「さぁ~今から行くよ!」って覚悟の深呼吸みたいに見えました。

私、子供みたいに「おかあちゃん!おかあちゃん!まだや!まだや!」って叫んでました。

病院できれいにしてもらって私のお家に連れて帰りました。

その日は母と私と銀一家で寝ました。明日がお通夜です。

不思議です。この夜はぐっすり母の横で寝たような気がします。

弟夫婦もお通夜に間に合いました。

「おかあちゃん、良かったね!みんないるよ!」

弟が日本にいないために追善法要も四十九日も私がすませました。

再来年帰ってくるまで御骨もお位牌も私がお世話することになりました。

そんなに長く家に置いていいものか解りませんが、おかあちゃんには辛抱してもらって・・・

だって我が家には銀一家という悪戯っ子達がいるために、タンスの高い所に上がってもらってますから・・・・南無阿弥陀仏。

親不孝の私に比べて子供孝行の母でした。

私に介護の大変な思いをさせることもなく、費用の心配もさせることもなく、たった2ヵ月半の闘病生活で逝ってしまいました。

最後まで痛みはなかったようです。そのことはほんまに良かった!

母と私はあまりうまくいってるとは言えない関係でした。

子供のころからの溝が少しづつ大きくなって、高校生のときの母の一言で一気に悪化しました。

でもそれは私の心の中だけのことで、母はそんなことがあったことすら覚えてはいないでしょう。

求めても求めても振り返ってくれなかった母でした。一生懸命いい子になろうとしたのに・・・抱きしめて欲しかった!ただそれだけだったのに・・・・

手を握ってきた母の手は柔らかくふわふわのやさしい手で・・・この手を求め続けてたんだと・・・

この2ヵ月半は私にとって母娘になれた期間でした。

ほんまに何に感謝しよう!私を支えてくれた友に感謝!銀一家に感謝!

   ありがとうございました

長々とつまらない話にお付き合いくださった皆様!ありがとうございました。

銀河!ほんまにほんまにありがとね。それしか言えないよ!


        

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コメント

疲れが出る頃だね。
急に冷え込むこともあるから体調には気をつけるんだよ~。

ウチも伯父の病院を探すときには医師の対応を見てビックリしたもんよ。
mamaちゃん同様カウンセラーやケースワーカーの人がいなかったらどうしたろうって思うもの。
前の病院で嫌な思いをした分、親切なカウンセラーさんの優しさが沁みるよね。
介護の時間は大変なだけでなく親子として
いかに過ごすかが大切なんだろうね。

お骨は色々な説があるけれど、何日までにお墓に納めるってしなくてもいいんだよ。
弟さんが帰ってきて一緒に納骨してあげてもいいじゃない?
・・・てかインドか・・・遠すぎッ!(苦笑)
銀ファミリーmamaちゃんを助けてくれてるね。てか、逆に銀ちゃん達がいるからワタシも安心できるってのもある!
カラダに気をつけてね!

投稿: さよ | 2009年9月15日 (火) 15時46分

↑なんで・・・?名前入れても入らないんだか・・・(汗)さよより

投稿: さよ | 2009年9月15日 (火) 15時47分

★さよ様★
いつもやさしいお言葉をありがとうございます。
今回もほんまにいっぱいいろんな経験しました。
母には最後まで勉強をさせてもらいました。
今は感謝しかありません。

2~3カ月で転院を繰り返さなければならない方の話を聞いて、やっぱ「おかしいよ!」と思うことがいっぱいでした。

私は震災のときに人間の裏側をいっぱい見ました。今回は建前をいっぱい見た気がします。

お骨は弟の気の済むようにしてあげようと思っています。そのほうが母も喜ぶとおもうので・・・世間の常識からははずれるかもしれませんが・・・(笑)

銀一家はいっぱい助けてくれるので、私も頑張れます!!

投稿: 銀河mama | 2009年9月16日 (水) 22時03分

mamaちゃん、お疲れ様でした。
お母様のご冥福をお祈りします・・・

・・・病院って、そうだったんだ!
幸いなことに・・なのか、愚かなことに・・なのかわからないけど
アタシもまったく病院に関しては無知だ。
年老いた両親がいるというのに・・・

mamaちゃんの必死さがひしひしと伝わってきたよ。
ひとりでよくがんばったね。えらかったね。

お骨は・・・
うちはとても手放せなくて、次男のお骨はまだ家に置いてるよ。
もう19年もたつのにね。
アタシがお墓に入るときに一緒に・・・

投稿: すもも母 | 2009年9月16日 (水) 22時55分

★すもも母様★
労いのお言葉をありがとうございます。

ほんまにおかしな医療体制だと思いますよ。
私達はまだ良かったほうだと思います。治っていないのに2~3カ月毎に転院なさっている方は入院したらすぐに次の入院先を考えなくてはいけないんですよ。これでは大切な大好きな人でも疲れきって嫌いになりそうですよ。
すもも母様もお母様がご病気でしたね。
優しいすもも母様でご両親は心強いと思いますよ。
私は泣き虫の親不孝者でしたから・・・

お骨は今もタンスの上です。
母と暮らした年月が少なかったので、弟が良いのであれば置いておこうと思っています。
でも、母はもうそこにはいないのでしょうね・・・

投稿: 銀河mama | 2009年9月19日 (土) 08時47分

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